満武コーチ

みっちーさんはマラソンランナーとして
どんな経歴の方なんですか?

僕は、中学1年生の頃から大学卒業までの10年間、陸上競技の長距離をしていました。高校では、2017年で40年連続全国高校駅伝出場を決めた岡山県にある名門倉敷高校に進学。

そして、3年時には、チームの主将を務めました。大学は、箱根駅伝を目指し、東京の国士舘大学に進学し、4年間箱根駅伝出場だけを夢みて走り続けました。

ここだけの話をするとランニング指導の時によく言われるのは「やっぱり全国大会の常連校で走られていたするからこそ知識があるんですね!」とか「すごく名門校で走られていてすごいですね!」とか「それだけの実力をお持ちなんですね!やっぱりランニングの指導をしているコーチは違いますね!!!」と言われ、「ありがとうございます!!」と嬉しい気持ちになります。

しかし、その反面、心の中では、

「おれは一度もレギュラーになれなかった…」

僕自身が高校、大学とレギュラーに全くなれなかったこと。そして、それ以上に感じるのが自分自身の陸上人生が失敗ばかりだったことです。

恥ずかしい話、事あるごとにつまずいてばかりで、ずっと悔しい思いを心に抱きながら陸上人生を送ってきました。

僕はあなたにランニングエコノミーという効率的な走りをお伝えして行きたいのですが恥ずかしながら、僕自身が効率を意識し始めたのは陸上をスタートしてから7年も経った後でした。

高校は高校駅伝常連校の倉敷高校に進学し、寮生活で毎日、陸上に励んでいました。正しいフォームも知らずとにかく走っていたんです。走って走って走って、とにかくがむしゃらに練習していたんです。

何も考えずに走っていたせいか練習をしてもしてもタイムは一向に伸びませんでした。「なんでだ…」「あれだけ走ってるのに…」そう思いながら、いつも苦痛に苛まれていました。

そんな風に無理やり走っていたせいで怪我をして、高校生活の三分の一を無駄にしました。最初に怪我をしてから、1〜2ヶ月間、練習を休み、「もう治っただろ?」と思って走り始めてもまたすぐに痛みが出てきて怪我が悪化してしまう。

ずっとこの繰り返しで、1年間無駄にしてしまいました。「どうすれば、怪我をせず走れるんだろう・・・」そう思い僕は、陸上競技マガジンという雑誌を繰り返し読んで研究しました。

先輩の走りを真似してみたり、「僕の走りはどこが悪いんですか?」と質問をしたり、いろんな試行錯誤をしてフォームの研究をしてきたんです。

「お、これは強烈なヒントを得た!!これで俺は変われるかも!!」と、テンションが上がり、練習に取り入れて練習を重ねていきました。しかし、それなのに一向にタイムは伸びていきませんでした。「なんでだ…なんで…」

結局、高校3年間では自分にしっくりくるフォームを手にすることはできませんでした。レギュラーにもなれずに後輩から追い越され、恥ずかしい先輩として腫れ物扱いされたこともあります。

チームとしては、全国大会に3年間出場という輝かしい成績を残すことができましたが、僕自身は、何もできず、悔いが残る残念な結果しか残せませんでした。

全国常連校ということもあり、後輩も優秀な選手が入ってきます。後輩にタイムで負けていれば立場はありませんし、僕のいうことを聞いてくれない後輩もいました。精神的に辛かったです。

「今度こそは自己記録更新だ!」と思った大会でことごとくレース後半のペースダウンに苦しめられ、「なぜ、、、俺はいつもこんなタイムが出ないんだ。。。センスがないからダメなのか。。」と頭を抱え、そして一人で泣いたこともありました。

「あ〜、俺はもうセンスなんてないんだ。」周りには、サボっても記録を更新する同級生や、センスの塊としか思えない後輩、「それに比べて俺は、、、、」と不甲斐ない現実を突きつけられていました。

大学進学時には陸上をやめようと本気で考えました。「バイトもして、お金を稼いで好きな人と楽しく遊んで過ごしたいな。そっちの方が楽しい人生なんじゃないかな」と考えていました。

でも、中学生の時の卒業文集にはこう書いてありました。将来の夢「箱根駅伝に出ること」高校時代の悔しい思い出と箱根駅伝にトライしてみたいという僕の気持ちが戦っていました。

「箱根駅伝に出ることができれば今まで応援してくれた方に恩返しができる」そう思って、箱根駅伝にチャレンジすることを決心しました。「昔から夢だった、箱根駅伝に出場したい絶対にその夢だけは叶えたい!」この強い思いから、東京に行くことを決め、「今度こそは俺は変わるんだ!」という強い決意とともに国士舘大学へ進学しました。

箱根駅伝の常連の国士館大学では
どんな選手だったんですか?

大学に入っても同じ悲劇が待っていました。周りには全国各地から僕よりも圧倒的に速い先輩や同級生、それに比べて僕は、練習をしても高校時代よりも遅いタイムでしか走れない・・・

僕はやる気をなくして、練習をサボるようになりました。高校時代の厳しく管理されていた寮生活からは解放され、自由のある生活でした。

東京は遊ぶ場所も多かったし、練習するフリをしてサボったり、食事への意識も薄れていきました。体重も1ヶ月で5kg増えてしまいした。4月に入学してから翌年の1月まで、中途半端に練習をし続け、陸上への気持ちが冷めかけていました。そんなとき、再び僕を突き動かす、衝撃的な出来事があったのです。

それは、実家から送られてきたダンボールの中に入っていた1通の手紙です。仕送りとして送られてきた、ダンボールの中には、二枚の手紙が入っていました。

新鮮な野菜とおばあちゃんの手紙

二枚の便箋にはこう書いてありました。「あんたが箱根駅伝、走ることをほんま応援しとる。あんたが箱根駅伝、走ることができたら、もうおばあちゃんは安心できるから。だから、全力で頑張りや。」

僕はおばあちゃんからの手紙を読んでハッとしました。「こうやって応援してくれる家族、お世話になった先生たち、地元の友達がいるのに東京でやってるフリをしてサボってる俺はなんて情けないんだ」

おばあちゃんに対しても、親に対しても申し訳ない気持ちが込み上げてきました。僕はもう一度自分を奮い立たせ、「また本気でやってみよう!箱根駅伝に出よう!」

そう強く誓いました。ただ僕には不安なことがありました。「ただがむしゃらに頑張って走っても高校時代と同じことの繰り返しなんじゃないか?」何をすればタイムが伸びるのか?どんな練習メニューをすればいいのか?これまでの経験から強い不安に襲われました。

今こうやって指導をしているのは僕にとって転換期があったからです。

「転換期」というのは?

それが、大学1年時から、国士舘大学の陸上部長距離のコーチとして就任したOコーチとの出会い。

Oコーチは、小学校、中学校、高校、大学、と全てにおいて日本トップを取ったことがあるエリートランナーでした。実業団においても日本で8位以内に入るようなスーパーエリート街道を走って来たコーチです。

ですが、実業団に入り、二度の手術をした経験があります。トップ選手から手術をして、どん底に落ちるという経験がある方でした。その当時は、走れなくなることによる周りからの批判もあったそうで、精神的にものすごく辛かったという話を僕にしてくれました。

Oコーチのすごいところは、手術をし何もかも失った状態から再起したところです。思うような走りができなかったり、再起するために、自分の体について1から勉強しなおしたそうです。

「どうしたら体は思うように動くのか?」「どうしたらもっと効率のいいフォームを手に入れられるのか?」「どんなメニューが自分の力を引き出してくれるのか?」というのを、何百万というお金と膨大な時間を投資されて、ご自身との経験と掛け合わせ、理論を言葉にしノウハウ化していました。

細かな走りについてのOコーチ自身の理論を確立したのです。

そんなコーチとの出会いがあり、僕はほんの少し走りを見てもらう機会がありました。その時に、今までにない衝撃的なアドバイスを受けました。Oコーチはボソって一言僕に対して言いました。

「お前さ、着地が前過ぎんだよね。体の真下に着地するようにするだけでもっと楽に走れるよ!」

僕は正直、こう思いました。「ん??何を言っているのかな?というか、体の真下に着地って何?そんなことできるの??」全くアドバイスがわからなかったんです。

ですが、Oコーチは、僕に合わせて、どうやったら体の真下に着地できるのか1つ1つアドバイスをしてくれました。階段を使っての着地のトレーニング、普段歩きながらできる着地のトレーニング、10分に1度は止まって着地だけをから染み込ませていくトレーニング・・・

どのアドバイスも、聞いたことがなく僕にとって、目からウロコの内容ばかりですっかりOコーチのことが大好きになり、なんでも意見を求めるようになり、Oコーチが言ったことは全て実践するようにしました。日々実践し、腰高の感覚を手に入れたり怪我の原因だった足で地面を蹴る走りを改善していきました。

ふくらはぎに疲労が残る→お尻に疲労が残る
「これがラクな走りか…!」

そこから1年間大きな怪我は一度もしませんでした。

怪我に泣かされた高校時代を思い返すと僕にとっては衝撃的な出来事でした。僕がもらったアドバイスは、この他にもたくさんありました。

「背中を使って走ろう!」「体と対話をしながら走るんだ!」「体が自然に前に進むストレッチを教えてあげる!」全てが初めで新鮮な情報で、全てが僕の走りを変えました。Oコーチの指導で、明確に変わったことがあります。

1.腰高のフォームになったこと
2.2ヶ月に1回は怪我をしていた僕が1年間怪我を1度しかしなかったこと
3.3回連続記録会で、5000mの自己記録を更新したこと
4.「お前、フォームかっこよくなったな!」と言われるようになったこと
5.今までしんどかったペースで、楽して走れるようになったこと

など、挙げ始めるとキリがありません。

僕は、陸上8年目にして初めて、自分にあった正しいフォームを手にし今までになかった感覚を手に入れタイムを伸ばすことに成功しました。本当に心の底から嬉しくて、ガッツポーズをしても嬉しさを表現しきれないくらいでした。

Oコーチには感謝してもしきれません。今、僕が持っている走りの感覚もそれをあなたにこうやってお伝えしてるのも、あの時Oコーチが僕に合わせて指導してくれたおかげです。 それから僕は、Oコーチが教えてくれた方法を自分なりに、フォーム専用日誌をつけノートにまとめました。

その時、どんな意識を持って走ったのか。感覚で走っていたのか。教わったことを実践した感覚をノートに書き綴るようになりました。なぜなら、こんな質の高い情報をいつでも引っ張り出して自分に活かせる状態にしておくために。

空き時間やフォームがおかしくなった時はそのノートを見返しました。こうして、楽に走れるフォームを手に入れていきました。

ランニングコーチになったきっかけをおしえてください。

オリンピックランナーの谷口浩美さんが行う市民ランナー向けのランニングクリニックがありました。そこにサポート役として参加してくれないかという話を受け、初めて市民ランナーの方に指導をするがありました。そこで感じたのは、昔の僕と同じように「正しいフォームがわかりません」という方が非常に多かったということ。

そして「このフォームで42km走ったら絶対に怪我をするだろう」と僕の目でもわかるほど、姿勢や着地、腕振りができていないランナーが多かったです。特に思い出に残っている出来事があります。ある50代のランナーにフォームを教える機会がありました。

「国士舘大学なんだから、きっちりフォーム指導頼むよ!」そう言われ、ちょっとイラっときたことを覚えています笑。ですが、僕にできることはやりきろうと思って、その方に本気で指導をしました。

指導できたのはたったの15分でした。その方のできていなかった、姿勢と着地の意識をメインに教えました。そしたらその50代のランナーは、みちがえるように軽やかに走り、陸上競技場を1人でスイスイと走っていました。

僕は、お、よかった。 見違えるように走りが変わるもんなんだな。」そう思って、走りを見ていました。50代のランナーは、走り終えた後僕にこういってくれました。「君、名前なんていうの?本当に指導のセンスあるよ!こんな感覚で走ったことないし、これなら次の大会で自己記録更新できそうだわ!

やっぱり国士舘は教えるのもうまいんだね。もっと市民ランナーの人たちに教えてあげなよ!ありがとね!」僕は今でもこの言葉を忘れません。

陸上歴10年、高校大学とレギュラーなれず
マラソンコンプレックスを持っていた僕が
50代のランナーに認められて、役に立った

今までの陸上人生で褒められたことはほとんどありませんでした。全てが実力主義の世界でレギュラーにすらなれなかった僕は陸上において褒められるという経験がほとんどなかったんです。

そして、自分と同じようにフォームで悩んでいる方の力になれた。だから、これがすごく嬉しかった。「こんな自分が力になれるなんて・・・。いや、レギュラーにすらなれてない俺だからこそ伝えられたのかもしれない」

市民ランナーに、僕の過去の全てを教えたい。。「僕のような思いをするランナーがいなくなってほしい。」この想いが強くなりました。「自分の過去の経験やOさんの教わった方法を伝授するんだ!」そう誓ったあの日から、僕は、市民ランナーへの指導を仕事にすると決めました。

サブスリーランナーの輩出!

僕の強い思いから市民ランナーの方へのランニング指導がスタートし、これまで2000人を超えるランナーの指導を行って来ました。数え切れないほどのサブスリーランナーを指導の中で輩出できたのですが、1番初めにサブスリーランナーを輩出できた経験が今でも忘れられません。

伊藤さんという方で、年齢は40代前半、ラン歴5年。マラソン自己記録3時間11分、ここ3大会ほど、マラソンでの自己記録の更新ができず、サブスリー目前に、限界なのかな?俺にはセンスがないのかな?と思い始め、ハーフマラソンや10kmにでてもなかなかタイムが出ないことに悩んでいた方でした。

僕が初めてお会いした時も「どうすればタイムが伸びるのかわからないんです。。。」というお話をされ、目が真剣であったこと、話し口調からもどれだけ本気でやっているのかを強く感じました。

どんな本を読んでも、ネットを見ても、自分に合ってるのか?自分ができてるのかもわからない。そして、走りが変わったのかもわからず、タイムも伸びない。。。よくない連鎖が続いていました。

僕はその時に思いました。「絶対に、伊藤さんをサブスリーランナーにする。そして、笑顔で嬉しそうな顔で話してもらいたい!過去の俺のような経験は今日で終わりにしてもらおう。」

その日から、フォームをメインに指導し、伊藤さんにもエコノミーフォームを習得していただき、普段のジョギングの時から効率よく走れるサポートをしました。変化はすぐに現れました。

「みっちーさん、今までは疲労がふくらはぎにきていたのですが、お尻とハムストリングスが1番張っています!!それに、1km4分30秒のペースが、力を抜いても出るのでびっくりしています。まるで魔法にかかったみたいです!」

このメールをいただいた時は僕も嬉しくてたまりませんでした。「よし、このまま指導していけば、伊藤さんのタイムは必ず伸びる!」そう確信し、指導し続けました。そして、エコノミーフォームを手にした状態で練習を継続した結果、10km〜ハーフマラソンの自己記録がすぐに伸びました。

『10kmでは「41分」が「37分30秒。」』ハーフマラソンでは、「1時間28分」が「1時間22分」

本当に、素晴らしいの一言しかありません。何より、伊藤さんが日々真面目にトレーニングし続けたことがこの成果をうみ、エコノミーフォームを手にし、トレーニングできたことがこの成果を海ました。

そしてついに、、、その日が来ました。「みっちーさん、今日は思い切って走って来ます。」メールでの報告を受け、僕は伊藤さんをレースに見送りました。

前半はひたすらリラックス、自分と同じペースの人を捕まえてひたすらつくだけで良いエコノミーフォームの意識だけは常にしていきましょう!このようなアドバイスをして、僕はひたすら祈っていました。

そして、、「みっちーさんやりました!!!!!2時間57分台でゴールしましたよ!!!!!」僕は初めて、指導した方の成績を見て泣きました。サブスリーランナーを目の前で輩出できた。。そして、伊藤さんの嬉しそうな声、顔、その全てが僕も嬉しかった。。この日のために指導しているんだと強く感じました。そして、その数日後、、僕は伊藤さんから衝撃の告白をされました。

「みっちーさん、実はなんですけど、、みっちーさんにお会いするまでは、どうもタイムがでなくて、もうマラソンはやめようと思っていたんです。やるならタイムにこだわりたい、でもタイムが伸びないのであればもう趣味として走るか、マラソン自体を離れるか、、、どうしようかずっと頭で考えていたんです。そんな時に、みっちーさんとの出会いがありました。正直に、これでダメだったらマラソンやめよう、そう思って指導を受けることを決めたんです。僕にとっては賭けのような気持ちで、指導を受けたのですが、大当たりでした!

これまで、みっちりと指導していただき、1番変わったのはなんといってもフォームです。エコノミーフォームの強力なパワーを自分でも思い知りました。僕は市民ランナーだからわかりますが、どうやったらタイムが伸びるのかなんて、頑張って調べていてもわからないんです。だから、みっちーさんが、もっと多くのランナーを指導してタイムを伸ばすサポートをしてくださいね!本当にありがとうございます!」

まさかそんな気持ちがあったなんて知りませんでした。そして、僕は嬉しくてたまらない気持ちにもなりました。伊藤さんは僕が、今までの人生で初めてパーソナル指導をした方です。そんな伊藤さんとの思い、言葉、その全てが僕をここまで突き動かしました。

みっちーさんの言う
「エコノミーフォーム」とは一体なんですか?
 

ランニングエコノミーという言葉を聞いたとことがありますか?「走りの経済性」という訳になりますが「走りの効率性」と行った方がしっくりくると思います。

ランニングエコノミーは「走りの効率性」エコノミーフォームは効率の良い走りをするための「フォーム」です。

フォームを変えるだけで、疲労の溜まりやすさ、エネルギーの消費効率まで変わってきます。

例えば、気をつけをしたまま「よ〜い、どんっ!」の合図で走り出すのと、しっかり肘を引いたダイナミックな腕振りをして走るのでは、どちらが速く走れますか?

当然、腕振りをした方です。

極端な例ではありますが、フォームによって走りの効率性が変わるのはイメージできたと思います。

エコノミーフォームにはもっと細かいポイントがあります。ランニングエコノミーを最大値まで高めていったフォームがエコノミーフォームです。

この記事を読んでくれている方は
まず何から始めたらいいでしょうか?

マラソンで記録更新をと思ったら、まずは「フォーム」から見直していきましょう。 

サプリメントを買ったり、体のバランスを整えるネックレスを買ってみたり、スパッツを新調してみたり、確かにどれも効果的かもしれません。

ですが、一番大事なのはそれらを使いこなすための走りの『基礎』が出来てから!

「走る」というのは簡単な動作に見えて、奥が深いです。フルマラソンは約5万歩で完走できます。悪いフォームを5万回繰り返すのか、良いフォームで5万回繰り返すのかで、差は歴然です。

効率的なランニングフォームを手に入れるために「一人で頑張る」必要はありません。

SPIRITS RUNではランエコフォームを身につけるための練習会やオンラインレッスンを実施しています。

ぜひ、フォーム修正の参考にしてください。

この記事を読んでくれている
市民ランナーの方へ一言お願いします!
 

レギュラーにもなれなかった全国高校駅伝でも、箱根駅伝でも走れんなかった凡人ランナーだからこそ、練習を積んでも記録が出なくて、悔しい思いをしたり、自分にあったフォームがわからず、怪我に苦しんでいるあなたの気持ちは誰よりもわかります。

だから僕は、思い切って、就職という選択肢を捨て、ランナーへの指導という道を切り開いたんです。全ては、自己記録更新に悩む市民ランナーのために。僕が、このブログを書き、フェイスブックなどのSNSで情報を発信している理由。

それは、僕が誰よりも練習をし、自己記録を伸ばしたいという強い気持ちを持ちながらも自己記録を出せなかった日々が長く、レギュラーにもなれず箱根駅伝も走れなかった。そんな僕のようにこれ以上自己記録更新に苦しむランナーがこれ以上出て欲しくない、という強い気持ちからです。

もう、記録を出せないランナーは僕だけで良いです。こんな思いをするのは僕を最後にしたいです。だから僕は、情報発信をやめません。誰がなんと言おうと、自己記録更新に本気のランナーの味方であり続け、僕は力になり続けます。

このメッセージを読んでいるあなたに伝えたいことがあります。僕は箱根駅伝を走った経験もなければ陸上を10年間やってレギュラーになった経験もありません。

「お前は全然タイム出してないじゃないか!全然、いい成績残してないじゃないか!」と言われれば「はい。その通りです。」と正直に答えます。「一流ランナーから教わりたい!」「実績のある人から教わりたい!」という人は僕の指導には向きません。僕はそんな実績は一切持ち合わせていません。ですが、言っておきたいことがあります。

タイムが伸び悩む人の気持ちは僕が一番わかります

「あれだけ練習したのに、今回こそはいける!と思ったのになぜ、自己記録が出ない・・・!?」その時、悔しい気持ちが痛いほどわかります。後輩にガンガン抜かれ続け、走ることが嫌になって、走っていることがバカらしく感じ、「なんであんなにやってきたのに、こんな結果しか出ないんだ・・・」と自己否定をしてしまう。

でも、このまま終わるのは悔しいしここでやめるわけにはいかない。どうやったらタイムが伸びるのか、自分なりに研究してお金も使って練習もして、なのにタイムが伸びない。それでもなんとか記録を更新したい。そんな方の気持ちは僕が一番理解できます。

タイムに伸び悩み、フォームに苦しんだそんな僕だからこそ伝えられること。それを伝えたいんです。こんな僕からの教えを求めるあなたの走りを変えタイムを伸ばすために、僕は情報配信を続けます。

あなたに自己記録を更新しガッツポーズで喜んで欲しいから、走れば走るほどタイムを伸ばし、マラソンをもっと大好きになって欲しいから、僕は指導し続けます。市民ランナーに強く関わりタイムを伸ばすサポートがしたいんです。

だからこそ、あなたに今から僕の全てをお伝えするのです。あなたこそが、次に自己記録を更新しサブスリーを達成してください。

 

伸び悩むタイムを伸ばし、
生涯マラソンを楽しみ続けたい市民ランナーの方へ
タイム向上に必要不可欠な「ランニングエコノミー」を使った
トレーニング講座を開講し、
マンツーマンサポートなども行います。

なんでだろう?
スポーツって楽しい。

くそっ。

納得いかない結果だってある。
でも、それだってスポーツだ。

もういっかい。

諦めきれない想いがあるだろう?
何度だって立ち上がれ。

まだまだ。

きっと、気付いてるだろ?
挑戦したいって、体が疼いてるだろ?

”誰かに勝ちたい”、それだけじゃない。
”自分に勝ちたい”、そうだこれだ。
今までだってそう想って、ここまで続けたんだ。

まだできる、もっとできる。

そうさ、できるはずさ。
大丈夫、できる。
もう一歩、あと一歩、まだ一歩。

まだだ、まだ先だ。
まだまだ諦める時じゃない。

あなたは“まだ”だ。
こんなもんじゃない。

Wake up Abillity